シモーヌ

これを観ました。
アメリカ的なご都合主義なところがやや目につくけど、まぁ細かいことは気にせず気楽に観るような映画だと思う。そういうスタイルであれば、十分楽しめるかな。何しろ、シモーヌが本当に奇麗。っていうか、これが日本で製作された映画だったら、ヴァーチャル女優はもっと目が大きくて童顔になったんだろうな。特典映像でスタッフもコメントしてたけど、シモーヌは実にアメリカ的美人。バービー人形みたいだ。本当、お人形みたいに完璧な美貌なの。そのシモーヌの創られた美貌が結構見応えあったなぁ。
映画自体は、つまり想像したヴァーチャル女優に翻弄され、そのおかげですべてを失いかける映画監督の話なんだけど、ヴァーチャルの世界が現実を超える瞬間とか、ヴァーチャルが現実をすっぽりと包み込んでしまうようなことって実際にあるよね?そういう感覚を覚えたことのある人って、結構いるんじゃないかしら?そう思ってるのは私だけ?例えば、こういう映画を観たり、本を読んだり、ゲームをしたり、何かの世界に入り込んで没頭したりするとそうだよね?役者やってるときなんかもそれに似てるかなぁ。まぁ、私の場合は、世界に入り込む感覚と冷静に自分を維持するところのバランスを保った辺り、その両者の中間点にいるのがベストだと思ってたけど。
話を戻そう。そういうふうに、意識の中でヴァーチャルが現実よりも前面に押し出される時って独りのときとか、複数人いたとしても少数だったりとか、そういう状態でヴァーチャルに接するときが多いと思うのよ。つまり、多数の人間が一緒にいて、あーだこーだいいながらヴァーチャルに接している時ってのは比較的現実を見失わない傾向にあるんじゃないかと。
この映画でシモーヌを創り出したアル・パチーノ演じる映画監督もシモーヌが実はヴァーチャルだって秘密を自分だけのものにしたばっかりに、シモーヌにのみ込まれていった。その秘密を誰かと分かち合えば、その失敗には陥らなかっただろうに。映画のラストでそういうことを元妻と娘が言ってるけど。なんか、そういう点はうまいこと描かれていたのかもなぁと思うのでした。