未来

2月8日に、死産しました。
我が子の火葬も、お葬式も終わってそろそろ1週間が過ぎようとしています。
赤ちゃんはいないのに、産後休暇で仕事はながらくお休み中です。
31年間住んでいた実家を離れ、来月から夫婦と、水子になった豆ちゃんと、ペットの夏みかんの4人で新居に引っ越すことになりました。
産後間もなく、まだ無理のできない体ですが、のんびりと引っ越し手続きと荷造りをする毎日です。
今月は激動の1カ月でした。先月の今頃は、誰がこんな展開を予想していたでしょうか。
考えてもみなかった。
微塵も思ってもみなかった。
頭の片隅にさえ浮かばなかった。
豆ちゃんに異常があるらしいということは、医大で診察を受けた時点でわかったことでした。
その後、MRI検査を受け、どうあれ豆ちゃんは助からないだろうと説明を受けたのは2月4日。
スールの本番、中日のことでした。
本当に珍しいケースで、ネットで似た例を探したら5,000例に1例とも書いてありました。
小さい体でそんな大きな運命を背負ってしまった豆ちゃん。
でも、豆ちゃんがその運命を背負ったことで、近く生まれる5,000人の赤ちゃんが助かるんだね。
豆ちゃんは、本当にすごい赤ちゃんだ。
とっても偉いね、豆ちゃん。立派な豆ちゃん。
そうやってツレと2人、豆ちゃんを本当に誇らしく思ってます。
2月5日、豆ちゃんのお産を目前にして、ツレと、お腹の豆ちゃんと3人、病室でこっそりケーキを食べました。
このお産は豆ちゃんの命日でもあるかもしれないけど、何より豆ちゃんの誕生日になるんだからと、3人でお祝いしました。
豆ちゃんが駄目だと知った4日から、ずっとツレは仕事を休んで病院に寝泊まりしてくれて。
最後に病院で過ごした親子3人の時間は、とっても素晴らしいものでした。
さみしいけど、悲しいけど、幸せでした。
2月8日、夕飯のころから陣痛が強くなり、22時58分に豆ちゃんを産みました。
約600グラム、約30センチの小さな男の子。
お産はとってもスムーズで、分娩台に乗って30分ほどで産むことができました。
「赤ちゃんがお母さんの体を守ってくれたんだね。お母さんがつらくないように、早く出てきてくれたんだね」って助産師さんに言われました。
こんな小さな体の豆ちゃんに助けられた私。
せつないじゃない。
でも、ありがとう豆ちゃん。
本当に偉い子だね、いい子だね。立派な豆ちゃん。
ツレが豆ちゃんに「未来」という素敵な名前をつけてくれました。
名前だけでも輝かしい未来があるように。
近い未来でも、遠い未来でも、また私たちのところへ帰ってこれるように。
未来の目は開くことはないし、産声も聞くことはできないし、おっぱいも吸わせてあげることはできないけど。
でも、本当にかわいくって、大好きな未来。
未来を亡くした悲しみは、想像以上に深くて、喪失感はものすごくて、この先どうやって生きていっていいかわからなくなって、ただただ未来の小さなお骨の前で泣くだけの日もあったけど。
一人になったり、夜になれば、意味もなく、理由もわからず、涙が止まらなかったりもするけれど。
でも、今は新しい生活に向かって、希望を持つこともできるようになりました。
ツレには、本当に感謝してます。旦那がこの人でよかった。
子供が本当に大好きな人だから、妊娠した時の喜びも大きかっただろうし、失った時の悲しみも大きかったと思います。
私と同じように。
その中でも、しっかり支えてくれて、一緒についていてくれて。
ただ 病室で悲しんでいるだけの私と違って、その悲しみの中で我が子の火葬や葬儀の手続きや準備を進めてくれたツレ。
未来の火葬許可ひとつ取りに行くことが、どんなにつらかっただろうか。
ツレも、私も、また未来に会えることを今からとっても楽しみにしています。
また未来に会いたい。
冷たく小さな未来を抱っこして、冷たくてもやわらかいほっぺをつついたこと、産毛でふかふかのおでこをなでたこと、これからもその感触を忘れません。
でも、記憶がだんだんと薄らいでいくのが悲しい。
未来。
パパとママが未来の感触をすっかり忘れちゃう前に、早くママのお腹に戻っておいで。